2001〜2年を振り返る

5/18の日記でミュージカル「モーニング・タウン」における紺野あさ美に対する想いに触れてみました。明確な“一推し”としては千秋楽がスタートに当たるのですが、それ以前からも気になる存在であったのも事実でありまして。自分自身の整理という意味も含めて、今日はその辺りの事を振り返ってみようかと思います。


★5期オーディション

5期メンバー加入前の2001年夏当時、加護推しだった私は8/26のオーディション特番をリアルタイムで視聴するも誰を応援するでもなく冷静に見ていました。まぁ、順当に高橋・小川の二人は合格するなとは思っていましたが(笑)。で、この特番における“紺野あさ美”なんですけど、たまにビデオを振り返って見るのですが何度どう見ても「受かる」とは思えさせない“編集”になっているというか・・・。映ってる時間は少ないし、映ってても何だか良くワカンナイ歌唄ってる場面ばっかだし(泣)。唯一「凄ぇ!」って思わせてくれたのは台詞を覚える早さくらいで。なんか意図的に、「受かってビックリ!」な作りにしてあるとしか思えないんですよ。そんな事もあって、この番組を見る限りでは紺野あさ美という子に特別な感情を抱くには至らなかったんですよね。今思うと番組の見えない(見せなかった)ところで彼女の良さが買われ、合格となったんでしょうけど。

合格後は当時のMUSIX!でいろいろと苦戦する5期メンの姿を追いかけていましたが、やはり特に苦戦を強いられたのは紺ちゃんでして。当時の自分の数少ない書き込みで
http://www.asayan.com/bbslog/log.cgi?dir=morning&page=1930&tree1=rpbhvp&tree2=dtpvtx
と書いた事もあり、だんだんと“応援”したくなる存在になってきてるのはありまして。そんな中でいっそう惹き込まれるきっかけとなったのが↑でも触れている「ポッキーCM」だったりします。



★ポッキーCM

2001年の9月にOAし始めた“ムースポッキー【ストロベリー】”のCM。「初々しい」以外の何物でもない新メンバー4人によるこのCMであったのですが・・・。このCM中の“一言”にね、見事に嵌ってしまったんです。紺野あさ美という子が放った「ストロベリー出た!」。たったその一言に惹き込まれてしまったんですよね。「なんて優しい声をする子なんだろう」って・・・。まさに“声惚れ”とでもいうのでしょうか。過去の例から言って“声に惹かれて初めて推しになる”私でしたので、この時点で推しになる要素を持っていたんですね。
  

だからこそ、最近つんく♂著「ポジティブ本」で紺ちゃんが「声が素敵な人が好き」と語った事がえらく嬉しくってね。自分と同じところに惹かれるというだけでなんかまた一層親近感わいたりしたし。



★2001年秋コン「ライブレボリューション秋」

ツアー自体は10/21の姫路セントラルパークから始まり、5期メンも同時にツアーデビューでもありました。ところが紺ちゃんだけ“うたばん”収録中の事故によりMCのみの参加という辛いデビューになってしまったんですよね。私は5期デビューを見届けにこの姫路まで出向いたものですが、MUSIX!でも紹介されたように歌のステージには立てない紺ちゃんはさぞ悔しかった事でしょう。

その2週間後の11/3横アリでのライブ。OPからの1曲目、紺野あさ美の「愛を下さい」から幕を開けました。彼女のこの横アリに対する想いは並々ならぬものがあっただろうし、緊張や不安も計り知れなかったでしょう。ただでさえ赤点と言われていたにも関わらず、怪我でさらに出遅れた彼女、ぎこちなさは多分にあれど懸命にステージをこなす彼女はここから始まっていったんですよね。



★13人がかりのクリスマス

この頃から“不思議キャラ”みたいな雰囲気が出てきた紺ちゃんですが、そのイメージをさらに押し出してきたのがこの番組でしたよね(笑)。

短いながらもこんな感想言っていましたね〜。
http://www.asayan.com/bbslog/log.cgi?dir=morning&page=2069&tree1=jzhgld&tree2=tcicsg#tcicsg
紺ちゃん」って呼び方もこの頃には自分的には定着していたようで(笑)。

加入したてのこの時期にこれだけのSP仕様な番組が存在していたのは今考えると凄い事だと思うのですが、まだまだブレイクに至らなかったようですね。それでも彼女の存在感をアピール出来たひとつの良いきっかけだったとは思うのですが。



★2002年 正月ハロコン
え〜スイマセン、MCの「美人担当、紺野あさ美です」しか覚えていません(爆)。思えば他の5期メンを含め、これが『好きな先輩』の歌詞へ繋がっていったワケですが〜(笑)。



★4thいきまっしょい!

結構初期の頃から「5期メン好き」であった私ですが、紺ちゃんのみならず5期熱がより高くなってきたのは2002年3月にアルバム「4thいきまっしょい!」が出てからになりますね。中でも『好きな先輩』。加入したばかりの4人がメインとなる曲がある事自体、異例でもあり画期的でもあったのですが、その曲の良さもあっていっそう5期4人への想いが強くなったものです。でもこの曲以上に好きなのが『電車の二人』なんですけどね。この曲を歌う紺ちゃんが本当に好きなんですよ。CDでも特に何度も繰り返し聴きましたし・・・。『電車〜』は意外と長く歌われたのが嬉しかったですね。この年の11/30、前橋コンで聴いた「ぱっと咲いて〜」のくだりがもう素晴らしくってね。あの時の感動は今でもはっきりと覚えています。



★2002年春コン「LOVE IS ALIVE!」

アルバム曲を多数ひっさげての春コン、初日の金沢までは普通に遠征しまして(笑)。5期を中心としたアルバム曲に期待を馳せるものの、スタート時はまだ1推し加護、2推し紺野という現状維持で。グッツ類もこの両名抑えるようになってきたのですが、春コングッツにあったトレーディングステッカーも両名集めるのに頑張ったり(笑)。

ソロポスターというのもありましたが、初日にしっかりと紺ちゃんのポスター買ってたあたり、彼女に対する期待ってのは結構あったりもして。


ライブではやっぱり『電車の二人』と『好きな先輩』は至福の時でして。どうしても“歌に難あり”と思われがちな紺ちゃんでしたが、頑張っていましたよ彼女は。春コンに参戦して行く度に、確実に彼女を好きになっていく自分がいましたから・・・。

その頑張りが行き過ぎてしまったのか、ツアー最終日のさいたまは殆ど声が出なくなっていたのが見ているこちらも辛かったです。特にね、DVDで『電車の二人』を見る度に切なくなってしまうんですよね。紺ちゃんの名誉の為に言っておくと、あそこまで惨かったのは最終日だけで、それまではあんなじゃなかったんです・・・。


ところで余談ですが・・・、さいたまのDVD、私の「紺ちゃ〜〜〜ん!」って叫びが確認出来ます(爆)。
タイミング的に自分の叫び方と同じですし、そもそもライブ会場で「紺ちゃん」って言う人、当時はまだ多くはなかったですからね。9割以上の確率で自分だという自信あるんですが。自分は4列目にいたので確実に声は入ってるかと・・・。何処とは言いませんので暇な方は探してみて下さい(笑)。ヘッドフォンで聞かないと分からないかと思いますが。 








そして・・・
運命の「モーニング・タウン」開幕へ繋がっていくんですよね。私もね、初日公演を見て後藤主任ばりに葛藤したものです(笑)。

ひと公演、ひと公演観ていく度に“紺野あさ美”に対する意識は確実に大きくなって行きまして・・・。春コン終了段階で1推し加護、準1推し紺野だった自分が、1推し・準1推しの差が完全になくなり、入れ替わっていったのは最前のXA列で観た6回目の観劇だったのかな・・・。そして8回目の観劇・千秋楽を経て、ようやく紺野単独1推しへと進んでいくのです。



#やっぱまとまりのない文章になってしまったなぁ。今日のところは“とある紺ヲタの独り言”って事で軽く受け止めてくださいませ。

#記憶にあるだけの事をつらつらと書いたのですが、意外と覚えているものですね(笑)。